あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2022/8/18

心の中に海があって、波があって、みんなそうとは思うけど。日常生活が健康で文化的な最低限度の生活ではなくなりそうなくらいの支障きたすくらいの大波がくると、家事が本当にできなかったり、異常に寝てしまったりとかね、ずっと動悸がしてて息苦しくて、思考できない状態になるのね。全てを先に延ばしてしまう。

自分がどうしたいのかどう在りたいのかを一番にしすぎると、一緒に生きたい周りの人や物を否定することになってしまうので、そのへんは柔らかく自分も変化していけばよいのかなと思った。けど、そうすると自分自身の人生が自分自身のものである実感がなくなるように思えて、結局こう。

興味関心も人生の軸もどんどん飽きるしどんどん変わっていく自分をおいかけてるずっと。振り回されてるずっと。疲れてるずっと。何がしたいのかわからない。

結果を求めて手段を選ばなければ解決なのだけど、手段が日々の結果で、人生だから、諦められない。解決しない。

毎日好きな人と自分のために、おいしい唐揚げのつくり方を研究したり、安くておいしいお酒を選んだり、熟れた果物をジャムやコンポートにしたり、小分け冷凍にしたりしたいし、インドカレー屋さんのドレッシングを真似して手づくりしたりしたい。結果。

自分の心身の状態がよくないと、なにもできない。やらなきゃいけない、がやりたい!を追い越すのは嫌。嫌なのにずっとこう。

 

8月は夏休みで、夏休みすぎたからこんなにも波が荒いのかもしれない。たのし過ぎた時間はぜんぜん活力にならない。

もうわたしに夏休みなんてないのに、大人なのに、夏休みを謳歌しすぎて不安になってしまっている。もうなにをどうしてもだめだ!

 

この前電車のなかではじめて閉塞感を感じてパニックになりそうだった。ドアが閉まって、ホームを離れる瞬間、マスクのせいもきっとあるけど、パニックになる前の感覚を新しく覚えた。あ、やばいと思って深呼吸したら大丈夫だった。電車がすこし怖い。