あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2021/1/17

下書きが溜まってきたので

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今日は(本土まで送ると倍の送料がかかるので)こっちにいる間に気になっているパン屋さんのパンを食べるぞ〜!と注文したパンが届いて、食べた。それはもう、うれしくて嬉しくて美味しくてたまらなくて幸せだなぁ…とひさしぶりに心から思った。本当にわたしはパンが好きだなと思った。パン自体も好きだし、パンが生まれる道のり、プロセス、作り手の方々を想うと胸が熱くなるし、パンが好きな自分のことも好き。もう全部好き。なんか全部詰まってる。なんでこんなに好きなんだろう?と不思議に思ってDNAについて検索するくらい。いつかパン屋さんになりたいのいつか、は今なのかもしれないとまた思った。細かくいうと、パン屋になりたいわけではなくて、パン焼き人?毎日自分が食べたいパンを食べられて、その幸せをひとと共有、与えることができる人になりたいの結果としてのパン焼き人になりたいなぁ。

ツイッターでも言ったけど、昨日まで本気で何がしたいのかわからない…と落ち込んでた(しかもすぐ口に出す)くせに、心にときめきを感じるとすぐにやっぱりこれだ…!みたいになるから自分のこと信じていいのかわからなくなってきた。よく言えば単純、わるく言えば安直。そこに優柔不断さが無ければ、突き進んで行けて、なにか掴めるんだろうとはわかってる。わかってるの!もうちょっとな気がしてるよ…

三歩進んで二歩下がるスピードでしか生きていけないけど、それでも生きてるんだから、もういいや。パンがおいしいって思えて本当にうれしい。感謝…

 

今ここの感覚が大切なのはわかってるけど今ここを感じすぎると、何やってんだろう…ともなる。だからそんなこと考えたり感じてるという自意識が芽生えないくらいに目まぐるしい時間を過ごしていけたらいいのかな。

この世はときめきで溢れすぎててわたしには眩しすぎて、でも薄暗い方に引っ張られたくない。楽なほうに流されてくれない自分のことをずっと応援してる。生きるぞー