あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2020/6/6

生きることについてずっと考えている

具体的に、生きること、としては二つあって、ひとつは本質的な生きること。(わたしの理想であって本当はこれだけを考えていたい)

もうひとつは、現実的な意味での、生きること。(お金をどう稼ぐのか、お金を稼ぐとは?とか…とにかくお金のこと、本当は考えたくない)

わたしの中での理想的な本質的な生きるをやるためには、まったく理想的でない、考えたくもない生きる、もしなければいけなくて、生きたくないなと思ってしまう

ほんとうに?わかんないけど ただの言い訳な気もします

自分をいちど殴って喝を入れたい

ひとりで立てるようにならないといけないって思う度に胸がぎゅっとしまって泣きそうになってなにもかもいやになる

なんとかなると思いながらもなんとかならず生きてる感じたぶん一生

 

ずっとあるわたしの行き着くところような気がしているものは

駆け込み寺のような

時給自足 

畑があって 果樹やハーブの庭があって

鳥がいて蜂もいる

わたしのバイブルたち 本 音楽 写真 いろいろなもの 大切に好きに見て感じることのできるものたちをおいておく 日時は関係なくて 心地好い布の衣服で過ごす 

一緒に食べるご飯

ひとの数以上のいろんないろんな心身の傷

生きること 一緒に考えたり 自分の中でみつけられるような場所

真剣でやさしくてあったかいけど無になるみたいな

いつかつくりたい あたまを空っぽにできるユートピア わたしのほしいもの

名前はない

これが夢ならいまできることがなんなのか考える

今やりたいことといつか絶対やりたいことどちらを優先すべきなんだろうか…全部つながってるのは、わかってる…

しっかりしたいなぁ

自分にしかないものとか、自分にしかできないこととか、そういう絶対が、自分の中だけでいいからあってほしい とおもいます