あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2020/5/1

四月が終わったことを昼過ぎまで知らなかった

今日で水道の工事に来てくれていたおじさんたちが最後だった

他人に生かされてるって自分がないこと正当化しようとしてるみたいでなんかやだったけどやっぱりそれは事実で変な顔になった

工事に来てくれていたおじさんに三時にコーヒーをいれてつくったパンとかケーキとかクッキーとかたべてもらうのにわたしはすごく救われていた気がした

南天の木を剪定した

だいぶ前に地面にばら撒いたレモンバームが芽をだしているのを見つけてうれしくて叫んだ

イタリアンパセリとディルを収穫して冷凍した

村のパン!みたいなパン焼いてみたくてでかいパンを焼いたけどでかいからてっぺんが焦げた

庭に小さな窯をつくろうかなと考えた

母の置いていったポテトサラダをチンしてしまってあったかい違和感を食べた

トマトジュースがなくなった

夜の空気が夏の夜みたいで目を閉じると沈み込んでいけるような感覚になれる風にうれしくなった

ただ、かえるや虫たちの声が聞こえないことだけがかなしかった

小さい頃我が家ではフレンチトーストというものはなくて代わりにたまごパンというものがあったことを思い出した

もしかして、とレシピの確認を母にしてみたりした

自分で自分を正当化することはなにも悪いことではないはずと思うけど、(悪事とかではなくて生き方など)他人に対してああ、この人は自分を正当化しようと必死なんだなと感じる事がすごく多いなとふと気付いた

人生は自分を必死に正当化していくことなのかもしれないなと思った事を思い出した

わたしはきっと必死になるのがこわいしいやなんだろうとわかった

部屋の小手鞠が満開になった

たけのこと大根菜の花のペペロンチーノはおいしくできた

にんじんラペにエルバステラをいれたらニラにしかみえなかった

わたしは最低な人間だからこのままぐちゃぐちゃになって自然に取り込まれるように滅びたいしぜんぶ終わってしまえと思っていることは言っちゃいけないんだとわかってるけどここに書いてしまった

新しい生き方とか思いつかないしわからなくて苦しい、きっといつまで経ってもどこにいたって何をしたって適応できないしうまくやれない

自分はそんなもん

こんな人間のそばになんて自分でもいたくないとおもうよ ごめんね