あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2021/3/16

食べものが、食べることが、大好きでたまらないのと同じくらい、わたしにとって食べることは怖くていやなことでもある。

昔から口癖はおいしいものがたべたい、とか、おなかすいた、だったし、食べられないわけではない、ただの偏食/好き嫌いもあった。お弁当は、添加物の入ったふりかけは嫌だったし、レンチンのお惣菜も許せない舌のわがまま娘で。誕生日に母が買ってきたいろんな種類のタルトは、全部食べてみたくて駄々をこねて、怒られて泣いて、せっかくの誕生日なのにめちゃくちゃになったこともあった。食い意地の張り方がすごかったな。

食に対して人並みよりすこし過剰にこだわりとか、好きっていう気持ちがあったのが反転してしまったのかな。高校生の頃、心のバランスを崩したときに、食べることをストレスの捌け口にしてしまって、それはもうたくさん食べた。それで、たくさん吐くようになった。

いまだから言えるけど、本当に食べることが好きで、食べものが好きで、尊いなんて思えていたら、そんなこと絶対できない。

だれかと一緒に、美味しいねってたべるごはんは本当に美味しくて嬉しい。その反面、あの時はそれ以上に、食べたら食べただけの怖さ、罪悪感、それでも充ちない。満たされない。つらかったな。だれかと一緒に食べることも嫌になったし、ひとりが安心だった。食べることが怖くていやなことに振り切れてしまってた。

また、食べることがいやなことに振り切れてしまうことが怖くて、嫌で。必死に好きでいられるよう、大切にできるよう、食べものが、食べることが、大好きでたまらない方に振り切れていられるように、学ぼうと、知ろうと、じぶんが食事を心から慈しんで、大切にできるように自分をつくってきた。いまもまだまだ途中だけれど。

だから、今は堂々と食べることが好きで、すばらしくて、ありがたくて、尊いと言える。そう思いたいから、言いたいから、言ってる。

でもやっぱり怖いときもあって、そういう自分が嫌にもなる。

 

パンのことが好きだなってずっと考えてたら、その反対側のこともきちんと自分の中でうけとめてあげないとなってこころに浮かんで

いまの気持ちを記しておきたいなとおもいました。

こんな話をできるようになったこと、自分が書き記しておきたいなって思ったこと、純粋にすごいっておもう。またひとつ、ちょっとだけ、大丈夫にすすめたのかもしれない。

なんの怖さもなく、しがらみもなく、ただただ本能のままにいられるなら、パン、いつでも食べたい。人間の、宇宙の縮図みたいとおもう。

 

それとこないだ、パン屋さん似合うよって言われた。うれしかった。パン屋になりたいわけではないけど、自分がおいしいと思えて、いつでも、なんの怖さもなく食べられるパンを、好きなときに焼けて、好きなときに食べられるようにしたいなとおもう。そうやって、自分が思う暮らしができるようにがんばりたいなと今は思う。