あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2021/5/31

あっという間に5月、最終日。

ここ数日、やりたいことがたくさんあり、やる気があり、できる状態が続いて、際限なくできているので生活リズムがおかしい。

夜更かしなのか早起きなのかわからないへんな時間にサンドイッチが食べたくなり、雑につくって食べた。煮サラダとレタス、トマト、クリームチーズ。あとマスタード

誰に見せるわけでもない、雑に作った、それでもおいしいものがとても好きです。生活。

 

若干の五月病にかかりながらも無事に5月を過ごせてうれしい。どうかこのまま、ハイなまま、6月いっぱいはよろしくお願い…と自分にお願いしてる。

 

死ぬタイミングは自分で決めていいって気付いた、というツイートを見かけて、すこし考え込んだ。

自分の持ってる今までの蓄積、刷り込み、善悪の感覚、疑ったことのない当たり前、ぜんぶ消し飛ばすパワーワードで。

わたしが思ってることなんて全部わたしのものでしかなくて、とんでもなくちっぽけで、くだらない。わたしが感じてる世界は、ぜんぜん世界じゃない。たぶん、世界ってもっとどうしようもなく広くて深い。でも、たぶん一生ぜんぶを見ることはできないし、わかれない。

 

大切なことも好きなことも、いちばんはいつも選べない。なんだかんだの理由をつけて決められない。でも選ばないと、わたしも選んでもらえない。

考える癖がなければ、ずっと、この世をたのしんでいられるのにな。

考えることを肯定しようとしたし、まわりの人は肯定してくれる。でも、やっぱり、考えなくてもいいことも、知らなくていいことも、絶対にある。考えたから、知ってる。

単純で明快、純粋で透明なじぶんの面積を、これ以上失いたくないっておもう。

 

5月のおわり、今日は麻婆茄子をつくる。あんまり辛くないやつ。