あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2020/5/9

頭が冴えてしまってるのでひとりごと

好きの反対側は無関心 ということばに、ずっと納得していたのだけど、やっぱり、好きの反対側は嫌い になるのではないかとおもう。

たぶん、無関心というのは、皮肉100%のわざとそう言い回したかんじがする。

好きのエネルギーと、嫌いのエネルギーは同等だとおもうし、無関心はその真ん中…

ぜんぶ、無関心でいられたらいいのになと思うことが沢山ある。けど、無関心になろうと思ってなれるものではないし、好き/嫌いの大きさが変化したり、揺れて真ん中に近付くことはあっても、完全な無関心に移行するのは難しい気がする。0か100か、白か黒か。パンかご飯か。みたいなね。ご飯でなんとかパンを焼こうと努力はするけどそれはどうあがいても米粉パンで、(小麦の)パンとはまた違ったものになるし、結局パンはパンで米粉パンでない、みたいなね。なんか何言ってんのかわからんくなってきた。

わたしはグレーの人間だから、ぜんぶバランスよく50と灰色でいられたらいいのにとおもうよ。難しいけど。米粉パンも好きだよ。