あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2021/4/24

日付変わって24日。ひさしぶりだな。一ヶ月ぶり!?

 

こちらへ帰ってきてからも色々あり、また自分がどんどん変化していく様子がわかる最近です。

高校生の頃のわたしは、これからの人生、生きていくことについて、希望をほんのちょっとも持てなくて、今のこともわからない状態で、でも毎日から逃げることも、この世から消えることもできなくて、明日のことを考えなくちゃいけなくて、ああ、どうやって生きるのが一番心労がなく、静かに、穏やかにいられるだろう?とか、とにかくネガティブな方向で生きることについて考えてた。人生の抜け道とか、逃げ道を血眼で探した。

そんなわたしが、だんだんと、大切な人たちや、自分の学びのおかげで、楽しんで人生を編んでいくことについて考えられるようになってきた。希望だって持てるようになった。明日の朝ごはんとか、好きな人に会う日のこととか。すきな服を着るとか、天気がいい日に洗濯物を干せるとか。小さなことにわたしは生かしてもらえるようになった。朝起きて絶望しなくなった。悩むことも落ち込むこともまだまだ沢山あってときどき苦しくはなるけれど。 

でも、抜け道とか逃げ道を探したり志すのもうやめよ、って思えた。なんか、バチって火花が散るみたいな感覚がしました。

なんていうのかな、もうそろそろ泣き止も、とか、ふてくされてんのやめよ、みたいな。急に真顔になるみたいな。サッと。

 

逃げることや回り道を教えてくれる人もいた。でも、それはその人にとっての道で、わたしの道じゃなかった。でもすごく救われたのは事実。逃げてもいいって言ってくれた人のことは一生忘れられないと思う。本当に救われた。

あの時たくさん悩んで苦しんで全てに絶望していなかったら今のわたしはいないなと思う。

わたしのネガティブの中にはたくさんの学びがあった。だからありがとうって思う。

でももう今は必要ない、必要あったら呼ぶからそれまで来ないでほしい。

 

自分がまた新しいフェーズに入ったことをはっきりと感じ取っていて、不思議な感覚で今を過ごしています。もちろんものすごく怖い。けど同じくらいの嬉しさも持っているのでなんとか大丈夫でいます。

地続きなはずなのに、こうして自分の中での境目がわかってしまうのも、わたしの持つものとして受け入れるしかないのかな。もしかしてみんなそうなのかな。

 

バランスよく、まんなか!中庸。

柔く在りたいなと今は思っている。

 

今日は火花が散るような感覚を残しておきたくて書いた。そろそろ藁を掴みたいし、逃げ道や抜け道じゃなくて、石畳のメインロードを作っていきたい。もちろん花壇も作ってさ、花植えながら。