あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2020/2/9

最近は食塩不使用トマトジュースとチロシンだけが味方。

ごはんを炊くのもめんどくさくて生きる気あんのか!?とおもう。トマトジュースのんだり、りんご丸かじりしたり、のこりもののキッシュたべたり、アンチ丁寧な生活。ぜんぶ丁寧にしたいのに、情緒がお終いになってしまうともうなにもできない。

ひさしぶりに母と出かけた。歯医者だけど。欠損だらけの自分かわいそうだなとおもうけど仕方ないで片付けるしかないぜんぶぜんぶ。すきなものが増えることだけに心うごかされてたい。もう見栄はる気力がない。定期的にだれも知らないところに行きたくなるしなにもかもリセットしたくなる。感情、気持ちのやり場がないからたくさんメモにかいたりして発散するしかない。ほんとうにリセットされてしまったらまた、ずっとひとりぼっちになってしまう。いやそれでいいのかもしれないな。すこしずつ積み重ねて、維持する、みたいなことが本能的にできないのかもしれない。できない。人として終了してる。

だから人と関わりたくない、社会に適合できない!とおもって山にでもこもって自分が死なないようたべるだけの野菜を育てたりして暮らしたいと思ったんだった。お金なくても生きていけるように。堂々巡りだな。いつもこうやって自分の異常さを思い出してハッとするのがつらすぎて消えたくなる。ハアーーー声にだしてため息とか、バーーーーカとか、ありえへん。。とか、出てしまうときはまじで、それ。