あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2020/3/4

たいして知らないのに、じぶんの中で解釈したり、感じた気になったり、わかった気になってしまう。感じるってなんなんだろう。ほんとうってなんなんだろう。もう、わからないことがおおすぎる。

たくさんのひと、もの、こと、をかんたんに見聞きして、勝手に感じとれるいま、かんたんに自分は未熟だと思い知らされる。

感じたことを素直にいうのもはずかしい。

求めも、求められもされないなんてかなしい。

いまどこにいて、これからどこにむかうのかなんて、考えなくてもいいとわかってるのに。

自分なんてちっぽけでしょうもなくてかなしくてどうしようもなくなる。でもそれで安心もする。