あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2020/2/22

きのうから花粉黄砂pm2.5のトリプルコンボに加えて、たぶん、ふつうに風邪ひいた。のどが金たわしで洗われたみたいに痛くて、声がでなくて、鼻がつまって、目がかゆくて、くるしい。

ひさしぶりに自分の話をたくさんして、改めてじぶんのことがよくわからないなとおもった。分析結果をならべても、自分のことはわからないまま、ということだけは、わかってきた。

話しても大丈夫だと感じるひとには際限なく話してしまうし話し出すととまらなくて、いつも申し訳なくなる。頭を使いすぎで、外のことにとらわれてしまいがち、というか、とらわれているのがデフォルトみたいな状態で生きているんだとおもう。でも時々しっかりじぶんにかえれているのを知ってる。だから余計にいつもずっと漠然とつらくて不安でさみしくて孤独。

深くじぶんにかえることができると人は目がキラキラかがやくんだって。わたしの周りにはそれがデフォルトなひとばかりだから納得。どうしてわたしはそうなれないんだろう。わからない。持ってうまれなかったものを埋めるために生きてる感覚がたまらなく虚しい。

埋まらないものを埋めるために躍起になるのは見てられないしなりたくないし、わたしはいつまでもこうなんだとおもう。もうそれでいいのかもしれないな。真摯に向き合っていれば、いつか穴は埋まって報われるのかな。

プライドとか、向上心とか、そんなのがほんとうに希薄なんだとおもう。悔しいとかむかつくとかいう感情は、ものすごく疲れるしこころがすり減る。消耗する。だから無意識に自己否定。そっちの方が楽。昔から自分を犠牲にしたほうが楽だという意識がある。これは呪い。たぶん解くには努力が必要なんだとおもうけど、がんばり方がわからないや。というかべつにもう解かなくても、自分で自分に納得できたらそれでいい。ひとりはさみしいという癖に結局ひとりに逃げてしまう。矛盾してる。

いつも心のはしっこには、あした世界が終わってしまうとしたら悲しむふりをして安心してる自分がいる。

消えてしまいたいとおもったことも、暗闇の沼にはまったこともない人は、どこでバランスをとっているのかを知りたい。かみさま。

同じ世界の同じところでよろこんだりかなしんだりしたいだけなのにな。

いつからこんなになったんだろうな。いつから夢がわからなくなっちゃったんだろうな。真剣に夢のことかんがえられない頭になってしまってる。無意識にえらんだりすてたり、本能的でいいのかもしれないね。わたしのなかの現実はずっとちょっとかなしい。でもわたしがおもっているよりずっとずっとすばらしくてかがやいて、じゅうぶんファンタジーなことは知ってるよ。それを感じとれなくなっているときの自分がいやになる。

頭をつかって考えすぎて外にとらわれて、8割よくない方へ向かってしまうのまえから分かってたし改めてよく分かったけど、思考してしまう。わたしたちは人間だから、思考したいのだろうね。

じぶんにかえる。いまを感じる。なにか変わるかもしれない。いまは、流れに身をまかせる。

ひとりごと書き連ねると、すこしだけ清々する。