あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2020/2/25

夜から雨になると、昼間はおぼえていたのに、すっかり忘れてチャリンコで出かけて雨に降られてしまった。でもきょうは特別あったかいきもちです。おかげでこの冬も着たおしているM-65パーカー洗濯できる。

雨の日の自転車といえば、京都にきてすぐのころ、タイヤの細い自転車にのったお兄さんが片手で傘をさしながら、びゅんびゅんはしっていくのをみて、器用だな〜あんなん絶対すぐコケて怪我する!あぶねーー!とおもっていたのに、今では自分が片手で傘をさしながらびゅんびゅんしているなんてね。器用になったもんだよね。あぶねえよね。ほんとはしたらだめだよ。

 

人は出会うべく時に出会うべき人と出会うようになっていて、また逆も然り、別れは必然で。

最近なぜかあたらしい出会いがすごく良いテンポでやってくるのだけど、おかげでありがたいことに比較的情緒が安定している。

人との出会いにこころがふるえて自分の中がじんわりあったかく感じる瞬間とか、その瞬間のあとにやってくる、改めて感じる自分のいま、というものへの嬉しさとか感謝とか。そういうのってほんとうに涙がでてくるほど大切でずっとずっとそうおもってたい。(大切で仕方ないのに、時々わすれてしまうから、こうしていつも思い出した時はきもちが溢れて綴ってしまう)

気付いたらそこにあったコミュニティとか、気付いたらいた場所とか、自分で選ばず、与えられたところでしか経験したことのなかったものを、自分で選んだところから得ることのすごさというか、すごさ。すごいよね。すごい。感動してる。うれしい。人っておもしろい。

毎日こんな気持ちだけでいたい。わたしはやっぱり、たぶん、基本的には人が好きだな。

英語圏の人は、I love you を簡単には言わないと聞いて、愛してるの重みは日本人と同じ感覚なんだなとおもったのだけど、わたしは、重さは変わらず、簡単に言いたい。だってほんとに愛があふれてくる!愛は熱いうちに伝える。

 

思っていたことだったり、ちょこっと願っていて、すこ〜し口に出してみたりしていたことが、やっぱりどんどん叶っていく。やってくる。もしくは、行けるように道ができたり。

思い返せば、今まで自分が願ったことが叶わなかったことなんてなかったのかもしれない。

いま思い出せる限りの過去の悲しい、つらい、無理だったことは、その他の願いを叶えるためにあったと確信できてしまう。ほんとに、よく出来てるとおもう。

夢や願いごとは、思った時点で、願った時点で、既に実現していると、ほんとうにおもいます。

思ったり考えたりした時点で、自分の中の、こうなればいいな〜 は、そうなるように(意識していなくとも)行動しているなと、おもいます。

そしたら自ずとまわりもそうなる。この気付きが重なって重なって、いつか、この世から消える瞬間に、いままでの全部みたいのがピカーン!ってわかるといいな。

 

愛おしいいつもとすこし違うチャイといつもどおり丸いタルトの味と談笑のあたたかな温度、雨の中たべたガリガリ君ピスタチオ味ときらめいた気持ち、ぜんぶわすれない。記憶は日々薄れてしまうけれど、これを読み返して何度でもよみがえる。

 

きょうもしあわせだったな、この日々が続きますように、と願って過ごしていた日々の感触が、すこしかえってきた。お腹がぽかぽかする。このまま眠ってしまいたい。でも、お風呂にはいってから、眠りたい。。