あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2020/2/27

この前まで、6年前と悩みの大部分が変わってないことに絶望してめそめそめそめそしてたし、いまでも、そんなに根本的な部分の解決なんてしてないと思ってるし、というかきっと一生解決しないし、もうどうでもいい。

じゃなくて、そう、めそめそして、自分では自分の変化とか、成長とか、あんまりわからなくて、わたしの変化とか成長とか、話をきいたり、みててくれる人もいなくて、だから、もちろん、肯定してくれるとか、ほめてくれるとか、あんまりされた覚えもないし、されてないし、それでもなんとか大丈夫、なんとかなるよと、じぶんで言い聞かせて生きてるけど、何気なく昔からわたしを知ってくれているひとに、一年前とはずいぶん変わったと、言われて、なんか、すごくすごくほどけた感覚があったよ。

よく自分のことをみつめてきたことも考えて考えておかしくなりそうなことも、じぶんではわからないわたしの変化を感じ取って、そうやって言ってくれたのが、すごく、ほんとうなんだと感じて、うれしかったな。

自分のこと嫌いなこととか、吹っ切れないこととか、やっぱりまだわたしはよわくて、つよさがたりないこととか。ぜんぶ見透かされてるみたいでちょっとこわかったけど。

 

いつになったらつよくなれる?どうやったら?

大人は、大人になるとじぶんできめた瞬間になるらしいけど、つよさ、というのも、きっと、そういうことなんよね。

ほんとは気付いたり分かったりしてるのに、無意識に、気付かないふり、分からないふりしてるのも、見透かされてたな。ほんとはぜんぶシンプルにじぶんのなかにある。

 

おっちゃんと話したおかげで、ここ数日の中で、いちばん、もっと感覚がかえってきたな。わたしは基地をつくるんや。。

自分の衝動のままに、会いに行ってよかったな。髪はすこし揃えてもらってみじかくなったよ。自分の衝動性のことはほんとうに信用できる気がします。

すこしつよくならないとね。まだ子供でいたいけど。

 

まんじゅう苔レンジでチンして箱の中身はなんだろなをしたらぜったいに動物やとおもう