あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2020/4/20

きょうも日付変わってしまった

 

ツイッターでペラペラといつもかいてしまうのをやめるためにはてなをはじめたのに、ついついやってしまう。やってしまった。

ツイッターでつぶやくこと、キーボードをフリックしてつらつら書き連ねること、もうずっと、頭の中を整理するツールになっている。現代っ子なんだな…と自覚する。

 

サカナクションのライブは最高だったね

なんか晩ごはんをつくる元気もたべる元気もでなくて、でも結局おなかすいて無理になってしまったから、ホットサンド一枚チャレンジしてたべた。

わたしはやっぱりホットサンドが大好き。

パンもじぶんで焼けたらいちばんいいのにな、(ホームベーカリーでなく)と思ってるけど、焼かないと…と思うようになると嫌になっちゃうのはわかってる。

インスタのハイライトにホットサンド記録をつけはじめたのは、ホットサンド屋になろうと結構つよくこころにあるから、とりあえずホットサンドのプロになりたいなと思って…たくさん練習しようとおもって…安直やけどさ…

なんでホットサンド屋かというと、わたしは、サンドイッチがいちばんと言っても過言ではないくらい好き、特にホットサンドのことがほんとうに大好きなんだと、自覚しているから…食べたいものを食べようと思って…いつ死んでもいいように。なによりホットサンドによる幸福度の爆上がりを体感してほしい…おいしいのよ。

サンドイッチは、すべてのマリアージュがかんぺき…おくちの中で星がきらめき、爆発します…天才…サンドウィッチ伯爵に乾杯…万歳…

マリアージュ系の食べ物(?)がとにかく、好き。

そしたらパンケーキも捨てがたい。パンケーキと、パンチェッタかソーセージか、マーマレードに、メープルシロップとバタ………たまらないね。あとは丼。丼は、最高。あ!フルーツサンドは、言わずもがなです。

こういうことを考えてるときは楽しくてしあわせだからずっとこういうことだけ考えていられたらいいのにな。とおもう。

パンと野菜とお肉を、自分の手で、というのが、やっぱり夢であり理想なのかな、と改めて思っている。ほかにも多方面に色々あるけど、食べることは生きることに直結してくる。衣食住のなかで、食は、やっぱりいちばん大切だとおもう。死んだら着る服も、住む家もいらないし。まずは生きないといけない。

その他すべてのことだって、ぜんぶぜんぶ、生きるにつながっているけど、軸とか基盤がなければ、ぜんぶはおろかなにも、わたしは、できないままだとわかってる。。

でも、ぜんぶやめたくない。なにかのためになにかを捨てないといけない!みたいな概念をやめたいし壊せるよってわたしも証明したい。あとは、貨幣経済からのゆるやかな離脱 これだ わたしのこれからの人生の指標は、これだ

なんだか初心にかえれて、つらつらと。ずっと思ってることおなじなのに、なんなんだろうね。強くこころにあるはずのことでさえ、薄れていっては、はっとして。くりかえし。人生、緩やかすぎるらせん状のスロープみたいなかんじだね。ずっと同じところをぐるぐるしてると感じるけど、たまに、はっとしたとき、ちょっとだけ登れてる?と気付けるときもある

 

いろんなものに目が眩むし影響をうけて流されたり、吹かれたり、してしまう。いつか、目が眩まないよう木陰をつくり、流されないよう根を張り、つよい風に吹かれても守ってくれるような、、おおきな木みたいな。ひとになれるかな。なりたいよ。

しかし、わたしのダメなところ。木みたいなひとなんて、まわりの大人にいたことないからってまた、すぐに絶望してしまう…いろんな意味で。

幸せの隣にある不幸せに目が行くし、嬉しさのうしろにいる悲しさが透けて見える。常に希望と絶望が、おなじだけある。

能力的なものだけじゃなくて、精神的にも影と光のコントラストが強すぎるから、日々のちいさなことでもすごくストレスになる。そんな自分が嫌で仕方ないし、向き合うのに飽きてきつつもある。だめだ!ため息でそう!

木みたいなひと、いなかったからからこそ、雨がよく当たって、なんとか成長できてきたのかな〜と、解釈しておくことにする。

 

今日は急につらくて、そしたら涙がでてきて、安心した。

つらい!となって、涙がでてくるうちは、きっとこころがまだ生きてる。

大丈夫じゃないのに大丈夫なフリしているのが、できるのが、やっぱり、つらいね。家の中は安心だから、大好き。

ウイルスのこと、たくさんの情報とか、いろんなひとの声を聞いて、不安になったり、ムカついたり、悲しくなったりするけど、結局のとこわたしはあまり変わらないから、すこし安心してしまっているところがあるな。と今日気付いた。すこし恥ずかしくおもった。反省。

でも堂々としてたい。わたしはまだ、途中なんです。途中だということで堂々としてたい。

大丈夫になるための練習なんです。ずっと。まだ。もうほっといてよって言ったのは自分なのに本当にほったらかしにされてかなしくても悲しいっていえなくてぜんぶ意地で嘘でそんなん本当はいらない。世界中ぜんぶハグみたいな、湯たんぽみたいな、あったかいやつで埋まればいいのにね。

かなしい気持ちのときほど、良い詩みたいなのが生まれちゃいそうな気がするのは、わたしが、そういう人間ってことなんだろう。

はやく、その事実に、光を見いだせるようになりたい。ほんものの光にはなれなかったとしても。

自分を許したい 認めたい 納得したい 愛したい  嫌なものは全部鏡の中の自分だと知ってる

憧れ は 憧れのままらしい。

 

脳内整理今日はこのへんでおわりにしておく。

自暴自棄よりもはやく走れるようになりたい。

きょうもカネコアヤノの曲をきいてねむります