あたたかい湯

日々あふれたものの受け皿

2020/4/10

きょうは晩ごはんにかぼちゃコロッケをした。

なぜか二週間くらい前から頭のなかにかぼちゃコロッケがずっといて、ようやく。

さゆ流かぼちゃコロッケは、くるみとかぼちゃのたねをいれるのがポイントです。(かぼちゃコロッケはじめてつくったひとがいうセリフではない)

かぼちゃのたねにパン粉をまぶす。前の前の家にいたころ、よく晩ごはんに登場した生協のむらさきいもコロッケ、すごくすきだったな〜とか、おもいだしながら。

まぶし終わってから、クミンいれればよかったなぁ…と後悔。ま〜あとからかけたらいっか!と解決。

はじめてのわりにめちゃくちゃおいしくできたのでやっぱり天才かもとおもいながらたべた。かぼちゃコロッケはあんしんそのものみたいだった。

けど最近なんだか胃がいたくてたくさんたべられなくなってきた。お米入らなかった。

 

家にこもってるとやっぱり何かしらしてしまうし、それが食にむかうのはすごくいいなとおもう。でも‪、じぶんのための、おやつやごはんに、幸せよりもどうしようもなくおおきな虚しさを見出してしまうから、生活や生きることがどちらかというとへたくそなのかなとおもいます。でももうややこしいことかんがえたくない!おいしい!!!!!!!!!!!!!!!!サイコーハッピーーー!!!でおわりたい。

ひとりでも健やかでいたい。

 

あたらしくスカートとブラウスもできたからはやく着て外にでたい。

バイクを買おうか検討中。車はわたしにはまだはやかった。

バイクがあれば、チャリンコではいけないところにいけたりする。これから夏になったら、すきなときにすきな海へ行っておよげたりする。いいよね。およぐのがすごくすきなはずなのに、ここ数年入水した記憶がない。でもやっぱり日焼けはできればしたくない。

 

あしたは、衣ののこりの小麦粉と卵でつくったのこりものニョッキをたべる。